5月1日から新しい元号の「令和」となり、10日が過ぎました。
書類に日付を書くときには未だに戸惑う場面もありますが、じきに慣れるのだろうと思います。
「元号など無駄だから止めればよいのに」という声もありますが、心理的に「区切り」をつけるという意味では、非常に良いもののように感じます。
お茶とあまり関係なさそうな気もしますが、平成という時代を経済的な面から、まとめてみたいと思います。
バブル経済からデフレ経済へ
平成という時代を振り返ってみると、まずは昭和の末から続いたバブル経済で始まっています。
しかし、それが崩壊して以降は、日本の経済の低迷ばかりが伝えられるようになりました。
バブルの後遺症で、不良債権処理などに苦しんだ時代です。
成長することで包み隠されてきた矛盾が、一挙に表面化した混乱の時代とも言えるかもしれません。
経済の低迷も、当初は「失われた10年」と呼ばれていましたが、その後も全体が大きく好転することは無く、”失われた”とされる年数がどんどん延びていきます。
この状況をなんとかしようというのが、本来の「構造改革」というものだったはずです。
しかし、その中身を見れば、大きく俯瞰的なビジョンがあるわけでも無く、手をつけやすいものだけを食い散らかした印象でしかありません(郵政民営化等)。
たとえば、少子高齢化や年金制度、子育てしながら働きやすい環境などの問題は30年前から警鐘が鳴らされ続けていたのに、未だに改善しないわけです。
政府も企業も、打つべき手を打てずに来た上に、完全に世界的なIT革命には乗り遅れてしまいました。
この間、日本では新しい付加価値を生み出すというよりは、コストカットを至上命題とした企業ばかりが成長する傾向にありました。
ディスカウントを行う大手の家電チェーン、100円ショップ、アルバイトを活用して人件費を抑えた外食チェーンなど。
「丁寧で良い仕事」よりも「安いものこそ正義」という時代だったように感じます。
こういう時代であれば、「経済が伸び悩むのは仕方ないのだから、できるだけ節約しよう」という意識は、ある意味、当然だったのかもしれません。
その結果、物価は上がらなくなってしまいました。
物の値段が上がらず、人口増も無い。輸出も好調ではない、となれば、当然、各企業の売上は下がります。
売上が下がれば、大きなコストである人件費のカットは不可避です。人員も賃金もカットせざるを得ません。
結果的に消費者たる労働者の可処分所得が少なくなれば、さらに需要は収縮します。
企業側では、それに合わせてさらにコストダウンを図る・・・という典型的なデフレスパイラルの罠に陥っていきます。
破壊された価値に対するメンタリティー
こうした平成の時代を経て、一番変わったのは、人々のメンタリティーだと思います。
上記のようなデフレ思考が、常態になってしまったことです。
本来、経済というものは成長がなければなりません。
右肩下がりの経済が前提であれば、現在の給料が最高値で、それ以降は下がり続けるという人件費の体系を組むしか無くなります。
そのような社会に希望など持てるはずがありません。
あるいは、若手の社員にまやかしの希望を持たせた上で、過剰な労働を課す”ブラック企業”という形態を取ることになります。
この”ブラック化”は、いまや企業だけの専売特許ではありません。
消費者のレベルでも、それがどのような仕事やコストの上で成り立つのかには関心を払わず、「最高レベルのサービスで、値段はとことん安く」と要求するのは、”国民全体の思考のブラック化”と言えるでしょう。
何らかのモノやサービスには、必ず携わる”人”と”プロフェッショナルな仕事”があります。
しかし、そこまで考えが巡らず、値札だけで判断する。
経済的な面で、まさに「貧すれば鈍す」なのかもしれません。
平成の茶業はどうだったか
やや暗いイメージになってしまいましたが、平成の茶業はどうだったのでしょうか。
まずは、平成元年から29年までの国内の茶類ごとの消費量を見てみたいと思います。
このグラフを見ると、少し意外な印象を持たれるかもしれません。
平成元年(1989年)のお茶の消費量は、約12万トン(緑茶92,719トン、紅茶13,516トン、ウーロン茶14,478トン)でした。
ここからは緩やかに右肩上がりとなり、消費量がピークを迎えたのは実は平成の時代です。
平成16年(2004年)に約15万6千トン(緑茶116,823トン、紅茶16,299トン、ウーロン茶22,903トン)を記録します。
ここからは右肩下がりになっていき、平成29年(2017年)には、約10万8千トン(緑茶81,329トン、紅茶15,529トン、ウーロン茶10,930トン)となっています。
それぞれの茶類をピーク時と比較すると、緑茶は約3万5千トン減、紅茶は約700トンの減少であるのに対し、ウーロン茶は約1万2千トン減になっています。
目を引くのはウーロン茶の市場崩壊ぶりです。
日本の中国茶業界の低迷ぶり
この統計でのウーロン茶の数値は、輸入量をそのまま反映させたものであり、ウーロン茶の主要生産国は中国と台湾です。
つまり、中国と台湾からのウーロン茶の輸入量が半減したのです。
もっとハッキリと言えば、「日本の中国茶マーケットは、ピークの2004年時から半分以上が吹き飛んだ」ということになります。
そして、平成元年と比較しても、3500トン弱減少しています。
元々、商品特性として、ウーロン茶は大手の飲料メーカーが主軸となって手がけてきた商材でした。
他の茶類と比較しても、ペットボトル飲料などの飲料化比率が高く、大手メーカーの商品政策に左右されやすいのです。
とはいえ、それにしても数字が悪すぎないか、と思います。
この間、確かに国家間での感情的な対立という逆風はありましたし、今ひとつ信頼関係が築けていないという面はあります。
しかし、それを上回るぐらい、中国・台湾との間での貿易額は著しく増え、往来も活発化しているはずです。
現地で美味しいお茶にふれた方もあったことでしょう。
逆風ばかりでは無く、追い風の要素も多かったはずです。
この数字の低さは、そうしたものをほとんど受け止められていなかった、という結果だと思います。
客観的に評価をするならば、「日本の中国茶業界に携わる人は何をしていたのか?」と言われてもおかしくない数字です。
端的にいえば、業界としての、根本的なマーケティングが出来ていなかったということです。
統一した業界団体すら存在しませんし、あらゆる面で視野が狭かったと断罪せざるを得ません。
ここまで数字が悪いとなると、「景気が悪い」「外交関係が悪い」「客が悪い」などは、出来ない経営者の言い訳にすぎません。
もっとも、私も平成の終わり頃から足を突っ込んでいるわけで、当然、その責任からは逃れられません。
新元号とともに頭を切り替える
ここまで見てきたように、平成の時代は、あまりに無策であったように感じます。
これまでは、昭和の時代からの悪しき習慣、思い込みが、亡霊のように邪魔をすることもありました。
たとえば、「お茶は日常茶飯のものなのだから、100g1000円以上のお茶を売るなどけしからん」というような論説です。
しかし、昭和という時代は、もはや2世代前の時代になりました。
今後は、某国営放送のキャラクターではありませんが、「未だに昭和を引きずってんじゃねーよ」とスパッと切れることでしょう。
このような方々を相手にして、心を痛めているヒマはありません。
むしろ、全く新しい真っさらな気持ちで、お茶に関心を持つ方が出て来ています。
このような方こそ、これからの消費者であり、きちんとした情報や商品の提供を行い、どんどん魅力をお伝えしていくべきです。
そのためには、今までのやり方・イメージは廃棄して、新しいスタイルを確立していくことが必要だと思います。
幸い、最近は中国の茶業界などは、パッケージデザインや飲み方など、全く新しいスタイルを確立しようとしているところです。
これは間違いなく追い風の一つです。
こうした追い風をどんどん捕まえ、ポジティブな可能性をどんどん発信していくこと。
さまざまな形で中国茶に携わる方が、それを少し意識するだけで、新しい未来が開けていくのではないかと感じています。
次回は5月20日の更新を予定しています。