第106回:明るい茶業の未来を宣伝するメディアと変化に対応する茶業者

早くも10月になりました

今年も早いもので10月に入りました。
1月頃から始まった世界的な新型コロナウイルスの流行は、依然として終息していません。

個人的には、あと2~3年くらいはこのようなウイルスと共存せざるを得ない状況が続くだろうと考えているので、想定の範囲内なのですが、こう考える人は世間的にはかなり珍しいようです。
「すぐに元通りの生活に戻れるのではないか」という予測から、しばらく我慢すれば・・・と考えていた人の方が多いように感じます。
ただ、そうした状況になかなか戻らないことで、かなりストレスや苛立ちを抱えている方が増えているように感じます。
リモートやオンラインという言葉に過剰に反応したりするなど、現実を受け入れられていないようです。

半年前のブログにも書いていますが、今回のコロナショックは世界中に不可逆的な変化をもたらしています。
おそらく、歴史的な大事件として教科書に載るレベルだと思います。

起こってしまったことは「覆水盆に返らず」であり、もうどうしようもありません。
今日と明日を生きる我々人間ができることは、将来がより良くなる方向性がどのようなものであるかを懸命に考え、その方向に向かって少しずつ歩みを進めるまでです。

出だしから、いささか人生訓めいていますが、今日のテーマはタイトル通り、中国の茶業界とそれを報じるメディアについての話です。

 

貧困脱出に一役買う、中国茶業

以前の記事にも書いていますが、中国において茶業は国の重要産業と位置づけられ、国策としての振興策が図られてきました。

新中国成立後は、まずは借款返済の原資として、輸出用茶葉の生産のための茶業振興が図られました。
その後、1980年代後半から本格的に内需へ転換し、国内の茶葉需要を促すために生産される茶葉は、紅茶から緑茶へ変化。
失われた飲茶習慣を取り戻すために、茶文化がクローズアップされ、誇るべき中国の伝統文化という据え付けがなされます。
中国の経済的・政治的なプレゼンスが、世界で大きくなるにつれ、中国人の精神性を形作るものとして、中国茶や中国茶文化の価値が高まっています。

※このあたりの経緯に興味のある方は、以下の書籍を参照ください。オンデマンド版が刊行されたそうです。

そして、現在は習近平政権の重要政策の一つである「貧困脱出」の手段として、茶業が位置づけられています。
このあたりの経緯は以前の記事にも書きました。

この傾向は、米中の関係悪化などの批判をかわす狙いもあるからか、ますます強くなっています。
たとえば、日本語でも報道された、このような記事です。

冒頭の部分を引用しますと、

中国農業農村部によると、中国の茶産業の従事者数は7000万人に達している。内訳は茶栽培の農民が2600万人、茶摘み従事者が3300万人、加工・流通関連が1100万人に上る。都市部から離れて地形的に産業が興しにくい農村部で、茶産業は地域の振興に貢献している。

となっており、大都市からも遠く、交通の不便な山間地域でも産業として成り立つのが茶業であること。
茶業従事者はどんどん増えており、それによって新しい就業機会が提供されていることを伝えています。

記事では、具体的な数値を示しながら、茶業が如何に農村の人々の収入を拡大し、人々の生活を改善しているかという点と、さらに環境負荷が小さい産業であることを紹介しています。

 

大変麗しい記事ですが・・・

中国のメディアは基本的には政府の管理下に置かれているので、このようなポジティブな宣伝記事が並ぶことになります。
見方によってはプロパガンダであるとも言えるでしょう。

しかし、重要なことは、プロパガンダ記事であったとしても、事実と全く異なることを書いているわけではないのです。
茶業が辺鄙な農村でも導入可能な産業として注目され、実際に多くの人に就業機会を提供しているのは事実です。
新興茶産地の多くは都市部からも遠く、交通網の整備も遅れていて、「何もないけど、自然だけはある」という地域であることが多いのです。
茶業にとっては豊かな自然こそが最高の資源であるため、こうした地域に希望の光をもたらす産業であるということは、間違いありません。

一方で、中国の茶業の未来には、バラ色ばかりが見えるわけではありません。
むしろ、足元のお茶の販売状況や需給動向を見ると、非常に厳しい状況にあります。

まず、消費量の伸び率と生産量の伸び率に差があり、生産量の伸びの方が圧倒的に高くなっているため、需給バランスが崩れています。
今年は新型コロナウイルスの流行で、実店舗の販売が大きく鈍っており、茶葉の在庫が積み上がることが想定されています。

需給ギャップは、先に挙げた農村の貧困脱出を政策的に行ったことに原因があります。
特に貴州省や雲南省などの、かつては国内でも貧しい地域とされている場所ほど、21世紀に入ってから、地元政府が茶業振興に莫大な投資を行っています。

貴州省を例にとると、2001年には茶園面積が4.5万ヘクタールほどで、2006年に約6万ヘクタールに達するぐらいの伸び率でした。
が、2009年には10万ヘクタール、2013年には25万ヘクタールを突破するなど、急激な増加に転じ、2018年には約46万ヘクタールにまで拡大しています。
そして、その貴州省を2019年に約47万ヘクタールを記録した雲南省が抜き返すという、デッドヒートを繰り広げています。

これらの地域では急激に茶園が開拓されただけではなく、開拓済の茶園も徐々に幼木から成木になり、生産量がぐんぐん伸びていく局面にあります。
今後10年間は、茶園の開拓をすることがなかったとしても、茶葉の生産量は加速度的に増えていく見込みです。
そのような生産状況を見ると、これから新規参入する産地には、とても市場のパイは残されていないように感じます。
いわゆる「過剰生産」と呼ばれる状態にあるように見えます。

が、中国の一般向け報道では、そのようなマイナス面は一切報じられないのです。
マイナス面は、茶業界の一部のシンポジウムなどで議論され、それが時々、専門家の話として報じられる程度です(私はそうした話を積極的に拾うようにしています)。
基本的にマイナスになりそうなことは一般向けには報じないのが中国メディアの作法です。
麗しき「タテマエ」しか報じない、という言い方がより適切かもしれません。

このような話をすると、「やはり、中国には報道の自由が無い!」というありがちな議論になりそうですが、今回のような世界的な危機にある状況では、これが功を奏するかもしれません。

 

中国の茶業界は、需要創造のために何をしているか?

中国では、表向きは「お茶を作れば、豊かになれる」という報道をしています。
が、当の茶業関係者や地元政府のトップなど、当事者たちは極めて必死です。
なぜ、彼らが必死なのか?は、中国の政治(というより中国共産党という組織での業績評価)の仕組みにあります。

まず、茶業界の重鎮たちは、いかにして、お茶の消費量を拡大するかについて激論を交わしています。
なぜなら、それなりのポジションの方は、みな共産党幹部でもあるため政治的責任も負っています。
茶業が上手く行かなければ、それは茶業を指導する立場にある彼らの失態であって、「運が悪かった」では済まされないのです。
その政治的責任の重さは、日本の政治家が負っている政治的責任の重さの比ではありません。
一度失脚したら、立ち上がれなくなるのが中国の政治の世界です。

地方政府のトップは、地元のお茶をいかに売り込み、成果を上げることに必死です。
なぜなら、現在の習近平政権下では、貧困を脱出させたことが彼らの業績になり、業績を積むことがさらなる出世に繋がるからです。
そして失敗すれば、失脚という非常に分かりやすい評価がされます。

茶葉会社の経営者は、地域の期待を一身に背負っていますし、共産党の役職を負っていることもあります。
こちらも自分自身の失敗だけでは終わる話にならないので、これまた必死に売り込みを図ります。

以上のように、政治的な仕組みから、責任ある立場の人たちの責任感が全く違うというのが一つの理由です。

もう一つは、現場で振る舞う人々が、時代の変化に合わせて、やるべきことをしっかりやるからです。

たとえば、コロナ流行下では実店舗の販売が壊滅状態にありました。
お店に人が来ない状態なので、実店舗は当てにできないのです。
それを黙って指をくわえて見ているのではなく、その分を自分たちでオンライン上に進出し、稼ごうとしています。
ネットショップを開き、WeChatで積極的に情報発信をして情報を受け取ってくれる人たち(朋友圏)を広げ、あるいは消費者の方に直接話しかけられるように、ライブ配信を行って、自らの人となりや生産現場の状況などを伝えます。
そのようにすることで、見知らぬ人を信用しない傾向が強い中国人消費者の懐に入っていくという工夫を続けています。

「私はネットに向いていない」「この年齢ではそんなことはできない」のようなことを言う人はいません。
やるべきことがあれば、それをやるというのが中国流です。

あるいは資金力のある茶葉会社などは、報酬を支払って、既にインターネット上にファンを持っている著名人(網紅)やライバー(インターネットの生配信で商品を売る人)に、自社製品の売り込みを依頼する会社もあります。
もっとも、これではなかなか上手く行かないので、現場をよく知り、消費者の疑問にも答えられる自社のスタッフに切り替える動きが進んでいます。

さらには、地方政府のトップである市長や県長が自ら、茶葉の缶を持ち、地元のお茶の歴史などを素人ながらに話して、地元のお茶を売り込む、などという動きもあります。
政治家が自らセールスマンを買って出て、売ってみせるというわけです。

いずれも本当に地味で地道な努力です。
そして、コロナ禍の前であれば、絶対にやったことが無いような、未経験の分野に果敢に挑戦しています。
彼・彼女らは未経験であることをやらない理由には挙げません。
世の中が変わっているのだから、それに合わせて自分たちのやっていることを変えたり、新しいことに挑戦するのは、彼らにとっては当たり前なのです。

時代に合わせて、以前のやり方に固執せず、新しいことに試行錯誤しながらも挑戦する姿勢は、まさに中国の強さを示す部分だと思います。
多くの茶業関係者が、新しいことに取り組んでいる姿を見ると、だからこそ中国が経済的に発展したのだろうな、と感じます。

冒頭の人生訓めいた話は、まさに彼らの生き方から学べることなのです。

 

次回は10月16日の更新を予定しています。

 

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