第5回:なぜ「中国茶」なのか

杭州の茶葉研究所。中国では急ピッチで茶の理論体系が整備されている。

なぜ、中国茶?

「中国茶を飲むのが好きでして・・・」という話をすると、「なぜ、中国茶?」と言われることが時々あります。

この質問の裏には、色々な意図(端的には中国に対するネガティブイメージ)があることも多いのですが、素朴な疑問であることもよくあります。

率直に言えば、「美味いからです」の一言で済ませたいのですが、それでは質問者の方は納得しづらいようです。

そこで「種類が多いから、気分によって選べる」とか「香りが良いから」など、毎回、理由を付け足してきました。

今でしたら、このように答えると思います。

「中国茶は、チャノキの可能性をいちばん幅広く感じられるからです」

と。

 

多様性が魅力

茶の原産地は、中国の西南部付近であるとされており、喫茶の歴史も中国から始まっています。

このことを必要以上に重んじる必要は無いと思いますが、茶の飲用の歴史が長く、国土も広く、茶に携わった人も多かった分、日本人の「お茶」のイメージからは想像もつかないような、お茶の加工法、品種、飲み方などが、中国にはあります。
「同じチャノキのはずなのに、こんな味・香りのお茶があるのか?」という驚きが、個人的には中国茶の一番の魅力だと思います。

もちろん、日本茶(煎茶を中心とした緑茶)にも、紅茶にも驚きはあります。
が、製法・品種の幅が大きい分、驚きが起きる確率が(理論的に)最も大きいのは、中国茶ではないかと思います。

だから、中国茶が優れている、というわけではありません。
幅が大きい分、口に合わないお茶に出会う可能性も高いとも言えますし、幅広すぎてとても追い切れない、などのデメリットも当然あります。

ただ、それぞれのお茶の違いを知り、良いところを認め合うことで、お茶の世界はより豊かになると思います。

 

茶の進化の過程が違った

今では全く違った様相を見せている日中の茶文化ですが、それぞれの進化の過程を見てみれば、実に「お国柄が現れているな」と感じます。

日本は、中国から伝来した喫茶法・製茶法の枠組み(緑茶)を、忠実に守ってきたように思います。
もっとも、忠実に守るだけではなく、独自の解釈や改善などを積み重ね、長い年月のうちに全く違った形に進化させた結果が今のスタイルであるように思います。

日本企業は、革新的な製品を発明するよりも、使い勝手を良くしていく”改善”が得意と言われますが、その傾向はお茶にも当てはまるようです。

一方、中国は王朝が変われば全てが変わるというお国柄。
こうした不連続な歴史がなければ、きっと烏龍茶や紅茶のような、革命的な製茶方法の発明は生まれなかったことでしょう。
さらに途方もない国土の広さですから、植物の生育環境が地域によってまるで違うため、当然品種も多様化します。
そして、様々なエスニックグループが存在し、それぞれ独自の文化があったことなどから、喫茶の習慣も違うのは当然です。
こうして見れば、中国の茶の進化も、やはり中国のお国柄を反映したものなのです。

多分、このような考察は、1つのものだけを見ていても出て来ない発想だと思います。
対極に違うものを置いてみると、手元にあるものが、より立体的に見えるようになります。

この点だけを見ても、中国茶を知る価値はあるのかな、と思います。
例えば、日本茶を勧める方が、日本茶しか知らないのに「日本茶最高!」と連呼するのでは、あまり買いたいとは思えません。
世界のお茶の中で、どういう位置づけ・特徴があるのかを解説できてこそ、プロフェッショナルだと思います。

 

茶の可能性を広げるには

中国茶では、様々なお茶を製法によってグループ分け(いわゆる六大分類)しています。
別の言い方をすれば、グループ分けしないといけないぐらい、様々な作り方のお茶があるということです。

そもそも、茶は生葉に含まれる様々な成分(とりわけカテキンなどの茶ポリフェノール類やアミノ酸など)を意図的に変化させたり、させなかったりして、様々な味や香りを生み出し、それを楽しむ飲料です。

主に製法(発酵、焙煎)と品種の組み合わせによって、様々な香りや味が生み出されます。
その組み合わせは無数にあります。

個人的には、これが分かったときに「お茶とは、なんと面白いものなのだ!」と感じました。

が、この点が一般に広く周知されているかは、非常に疑問を感じています。

なぜなら、このような捉え方をわざわざする必要があるのは、製法がバラエティーに富み過ぎている中国茶だけだからです。

日本茶であれば緑茶、それも蒸し製の緑茶が中心ですから、このような大上段に構えた定義は必要としないでしょう。
紅茶の場合も同様です。

「同じチャノキの葉でも、作り方によって緑茶にも紅茶にもなる」というのは、緑茶だけ、紅茶だけを飲んでいる人にとっては「雑学」の域を出ないのです。

しかし、これを他の嗜好性飲料に置き換えてみると、非常に不思議な状況であることが分かります。

ワインでたとえるなら、

フランスワインだけの専門家
白ワインだけの専門家

という人しか存在せず、ワイン全般を専門とする人がいない。
そして、これらの人たちのワインに関する基礎知識が、それぞれ異なっているとなれば、これはかなり不思議な状況です。

しかし、お茶は得てして、そういう傾向があります。

日本茶だけ。
紅茶だけ。
中国茶だけ。

それぞれの知識が上手く繋がっていて、お茶の基本的な部分の解説が共通であれば良いのですが、それが出来る方は、あまり多くありません。

日本茶が専門の方に烏龍茶の作り方を聞いても、あまり要領を得ないと思いますし、紅茶の方に黒茶の作り方を聞いても、同じでしょう。

同じ植物から作られる「茶」を扱っており、それを専門と称している人に聞いているのに、共通性があまり無いというのは、ワインやコーヒーを学んだ人にとっては、ちょっと信じがたい話だと思います。

 

理論的な中国茶の解説が必要

もっとも、このような状況は近い将来に解消できるのではないか、と考えています。

茶の理論的な説明をしようとすれば、どう考えても六大分類、すなわち中国茶が理論的に説明できるようにならないといけません。

これが、既に中国では実現しています。

全国の茶産地を抱える地域の大学には、「茶学部」が設置されています。
また、茶に関する専門学校が各地に設立され、多くの学生を集めています。

当然ながらこうした学校では、きちんと科学的な根拠に基づいた、茶の理論や実践を指導しています。
既に中国本土においては、茶は理論的に学ぶことが出来る学問になっているのです。
そして、多くの研究者が存在し、急ピッチで研究を積み重ねています。

一方、日本国内を振り返ってみますと・・・
これまで中国茶については、科学的な根拠を持った説明が、かなり弱かったと感じています。
疑似科学のような根拠に乏しい説明が横行するなど、茶の植物的、化学的な面については、あまり追究してこない傾向がありましたし、そういう方でも専門家を名乗れる時代でした。
伝説や効能(その根拠は自分の経験)の話などに終始され、ウンザリしたという方もいたと思います(私もその一人です)。

が、中国の茶業界の急速な発展によって、現地ではこのようなケースはだいぶ少なくなりつつあります。
怪しげな伝説の話をされるのではなく、論理的にお茶を説明されることも増えてきました。

中国政府が打ち出す政策も確実に、その方向へ誘導するものです。
既にEUと相互認証を行う原産地保護制度が始まってきていますし、お茶の様々な事柄を「国家標準」などの規格できちんと定義し、それによって業界の健全化を図る方向に向かっています。
様々な「定義」が分かりやすく整理されてきていますので、説明の根拠が確かになってきました。

もっとも、これはこの10年ほどで急速に進んでいることです。
あまりにも進行が急すぎて、この流れは、日本市場には、まだ十分反映できていません。
おそらく、こうした状況を受けて書かれた書籍などは、翻訳本以外では皆無だと思います。

しかし、日本人の方でも「評茶員」講座などを通じて、お茶を科学的に捉えるトレーニングを積んだ方も出てきていますので、じきにこうした考え方・説明の仕方が主流になると思います。

そうなってくれば、既に理論的・科学的に学ばれた日本茶、紅茶の専門家の方々と、同じレベルに立って意見交換ができるようになり、大変有益な情報のやり取りになると思います。
そして、日本茶や紅茶の解説も取り入れた、日本ならではの茶の統一的な説明も、少しずつ整理されていくのではないかと思います。

 

次回は2月28日の更新を予定しています。

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