ペットボトルの烏龍茶を水割り!?
先日、面白いネット記事が出ていました。
https://dailyportalz.jp/kiji/oolong_tea_with_water
ペットボトルの烏龍茶を水で割って飲むというライターさんの記事です。
この記事の冒頭にはこうあります。
しかし烏龍茶は飲み過ぎるとお腹が痛くなる。なんと言うかちょっとキツいのだ。そこで烏龍茶を水で割ってみると、これがすごく飲みやすい。
そんなのただの薄い烏龍茶だと思うことだろう。
…まあ、実際その通りではあるが、薄めるとよりスッキリとゴクゴク飲めるようになる。それでいて烏龍茶の味や渋みは意外にもしっかり感じられる。
夏の飲み物といえば麦茶だが、シャキッとした苦味もありながら飲みやすい烏龍茶の水割りには麦茶をも超えるポテンシャルがあるのだ。
このペットボトルの烏龍茶が「キツい」という感覚は理解できます。
他のお茶に比べると、500mlのペットボトルを1本飲み切るのが難しい印象です。
お弁当に揚げ物などが入っていれば、ちょうど良い濃さなのでしょうが、お茶だけを水分補給感覚で飲むのは難しく、だからこそ烏龍茶のペットボトルは低調になりがちなのだろうと思います。
しかし、ペットボトルの中身を一度開け、水で割るという解決法は目新しく映りました。
淡い味わいの飲料を求める傾向に
最近のペットボトル飲料は、1990年代以降ニアウォーターの流行などもあり、味わいが濃すぎないものが求められているように感じます。
たとえば、炭酸飲料もコーラや果汁入りで甘く強い味わいのものは、あまりコンビニの棚に並ばないようで、フレーバー付きの炭酸水などがその場所に入っています。
濃厚で甘いジュースなども消費は減っており、健康志向からの野菜ジュースやあるいは茶系飲料に流れているようです。
全般的に、ペットボトルなどの清涼飲料に対しては、濃厚さよりも”ゴクゴク飲める”という感覚が重視されているようです。
茶系飲料も、一部の機能性食品として飲まれるものを除けば、軽やかな味わいのものが多くなってきています。
先程のライターの方は、1980年代生まれであり、茶飲料が既に仮定に定着していた世代だと思います。
ゴクゴク飲みやすくなった緑茶飲料などに舌が慣れているとすれば、烏龍茶は少し重たく感じられるのは当然かもしれません。
それよりも下の世代になると、ニアウォーターの流行と重なりますから、より淡い味わいが好みになっている可能性があります。
そう考えると、今のペットボトル烏龍茶飲料に満足していない層が存在しているわけです。
この不満足をどう解消するかが商品開発なのですが、中国茶というジャンルは21世紀に入ってから外交的なイメージの問題もあり、少し力が弱くなっていたようです。
十分にメーカー側でニーズの調査やそれに合った商品の開発が出来ていなかったように感じます。
今回の記事は、「水で割る」という顧客側のカスタマイズが紹介されたものですが、製品開発をしている方にとっては耳が痛い内容だったと思います。
「味わいの好みは世代によって違う」に合わせた商品開発ができているか
先程の記事で改めて認識したのは、世代によって味わいの好みが違うという当たり前のことです。
私自身が美味しいと感じているものが、他の世代の方には美味しいと感じない可能性があるということです。
「嗜好品というのはそういうものだ」と頭では分かるのですが、それを適切に商品として反映させられているか、というのは意識して考えなければならないところです。
たとえば、最近では若者向けのパッケージにしたお茶が売り出されています。
その中に入っているお茶は、本当に若者向けの味わいになっているのでしょうか?
あるいは、淹れ方の説明がパッケージに書いてあるとして、その説明書きの淹れ方を忠実に実行すれば、若者向けの味わいに入るのでしょうか?
もし、従来と同じ茶葉をパッケージを入れ替えて販売しているだけであれば、それは本当の意味での若者向け商品ではありません。
淡い味が好みになっているとすれば、ひょっとしたら茶葉の使用量が半分で済むのかもしれません。
茶葉の使用量が半分になるとすれば、パッケージに詰める茶葉の量も半分にした方が良いかもしれません。
また、使用する茶器も従来の急須では大きすぎるのかもしれません。
あるいは茶葉の製法を変えた方が良いのかもしれません。
できるだけ味わいを濃くしようとすれば、揉捻をしっかり行ったり、蒸し製で仕上げるのが正解かもしれませんが、揉捻を軽く、釜炒りで仕上げたものの方が好みなのかもしれません。
場合によっては、従来の製造ラインを破棄し、新しい製造ラインに置き換えるべきなのかもしれません。
このように、消費者側の嗜好性が変われば、商品はまるで違ったものになるはずです。
製造設備や経営の仕方も、まるで違うものに作り替えなければ、新しい顧客層を開拓することもできません。
本当に顧客の声が聞けているか
どうしてもある程度の経験を持ってしまうと、業界の常識に当てはめたり、道徳的な「べき論」で考えてしまいがちです。
たとえば、
「本当に美味しいものは飲んだら良さが分かる」
「伝統的なものが一番美味しいし、それを守ることこそが使命だ」
「日本人ならば、きちんと急須でお茶を淹れるべきだ」
のようなものです。
これらは一見すると、正しいことを言っているように見えますが、果たして本当にそうでしょうか?
顧客の声が全く入っていないように感じます。
清香型安渓鉄観音に見る、安渓鉄観音の成長
安渓鉄観音というお茶があります。
日本では鉄観音茶といえば、茶色い茶葉やお茶を想像しますが、現在、主流となっている安渓鉄観音は緑色をしています。
このようなお茶になった理由はいくつかありますが、一番大きいのは消費者の声です。
普段から烏龍茶を消費している地元の消費者だけでなく、緑茶ぐらいしか飲まなかった人々の嗜好に合わせ、新しい製法を研究し、このようなお茶を作り上げています。
緑茶しか飲まない方にとっては、焙煎を施したお茶は決して飲みやすいお茶ではありません。
まさに先程の「ペットボトルの烏龍茶を水割りする」のと一緒で、味わいが強すぎるのです。
そこで、緑茶感覚で爽やかに飲める口当たりでありながら、緑茶には出しようがないほどの香りの高さを両立したお茶が、清香型とよばれるこの手の鉄観音茶です。
当然、このお茶が出始めた頃(1990年代)は、伝統の破壊であるという論調が産地でも強かったのです。
しかし、この清香型の安渓鉄観音が開発されたことで、安渓鉄観音の消費は中国全土へ広がりました。
全国各地にできた茶葉市場(茶城)の多くは地元のお茶を扱う店が多かったのですが、安渓鉄観音の店だけはどこの市場でもある、と言われるぐらいに中国じゅうに浸透したのです。
結果的に、安渓という取り立てた産業がなかった山あいの山村は、有数の豊かな街へと変貌を遂げました。
この変化はここ30年以内に起こったことです。
消費者の声を聞かずに「伝統こそが大事だ」と突っぱねていたら、このような発展は無かったでしょう。
もちろん、成長の過程では大量生産による弊害も多数ありました。伝統が失われるという声が非常に多かったのです。
が、最近は鉄観音茶の良さを知る人が増えてくると、伝統的な味わいがやはり良いのでは無いか、という人が出てきています。
結果的に、伝統型の製法への回帰の動きも出てきているほどで、消費者層が広がったので、そうしたお茶が評価される土壌も広がったのです。
産業自体が伸びているからこそ、伝統を守るだけの余裕が出てきます。
伝統を守ることと産業の成長は決して相反することばかりではないのです。
次回は10月1日の更新を予定しています。