※今回は前半部分に茶業とは関係無いことについて論じていますが、後半はその結論を踏まえて茶業に活かすという内容です。
事業責任の自覚に乏しい業者が問題を起こし、業界を破壊する
北海道の知床で大変痛ましい事故がありました。
犠牲者の方のご冥福と未だ不明の方が早く発見されることを心より祈念いたします。
(別会社の大型船でしたが)当該航路にはだいぶ昔に乗船したことがあり、大変興味深い船旅でしいた。
その当時の様子を記したブログは今でも検索上位に表示されることもあり、犠牲者の方が事前にご覧になった可能性もあります。
決して人ごとではない事故と感じています。
様々な報道によれば、当該事業者は経営母体が変更となった後、経営者だけでなく従業員も入れ替えられて営業していたようです。
海に対する十分な知見や豊富な経験を持たない経営者・従業員での運行という状態であったようです。
一見、業歴は長いように見えますが、実質的な新規参入に近いケースであったと見られます。
一般的に、このような新規事業者は問題を起こしがちです。
まず、業界の勝手が分からなければ、適正な経営資源(ヒト・モノ・カネ)の配分ができません。
真っ当な事業運営をするためには、どこにどのくらいのコストが掛かるか、掛けなければならないかが分からないのです。
新規参入事業者が、参入当初にもっとも苦労するのは、この最適解を見つけることです(想定通りに売上が上がれば良いのですが、今回のコロナ禍ではそれは難しかったことでしょう)。
それでも、人の命を預かって運航するという、交通事業者としての責務がしっかり認識できているのであれば、安全を重視し、きちんとしたコストを掛けていたことでしょう。
当初はそれでコストを掛けすぎたとしても、一定期間の習熟期間を経て、人材も成長して効率が高まり、適正なコスト水準に下げることができるようになる・・・というのが、本来のあるべき姿だったと思われます。
しかし、今回のケースでは、既に営業している事業体を引き継いだ形(といっても習熟した人材は失っているのですが)であるため、適正コストの算定を安易に考えた可能性が高そうです。
結果として、交通事業者として遵守すべき法令すらをも無視した(会見での対応などを見ると、そもそも交通事業者としての責務が良く分かっていなかったと思われる)、悪しきコストカットが日常化していたようです。
交通事業者であれば、当然しなければならないこと、当たり前にできているべきことに掛ける資金や人員の投入コストを浮かせていたわけです。
明らかに交通事業を行うには不適格な業者を野放しにしていたのですから、大変残念なことですが、今回の事故は起こるべくして起きたとも言えます。
そして、このような不適格な事業者が大きな事故を起こしたことで、地元や近隣の同業者は大変厳しい風評に晒されることになります。
一部の不心得な事業者がいることで、業界が破壊されるということは、今回の事故に限ったことではありません。
この事故を、茶業における何らかの教訓に出来ないか、を少し考えてみたいと思います。
監督官庁や同業者団体の機能不全
話を戻しますが、こうした不適格な業者は、国などが整備した様々な規制によって取り締まられ、問題を起こす前に市場から退場させられるべきです。
しかし、今回は種々の規制および検査などのチェック体制が全く機能しなかったわけですから、監督官庁の責任は大いに追及されるべきでしょう。
交通事業者の問題といえば、まだ記憶に新しい、夜行バスの問題などもありましたし、国民の命を預かる交通事業への規制とその運用法を根本的に変える必要がありそうです。
そもそも、日本の全般的な規制システム自体が、新規参入者や事業者を育成するという観点では、あまり機能していないように思われます。
本来、規制というものは、それを守らせることによって、国民の生命や健康、財産などの安全を担保するための手段であるとともに、事業者や業界を健全な方向に成長させていくための手段でもあるはずです。
もちろん、時代にそぐわない無駄な規制などは大いに議論して撤廃し、新規参入業者などのハードルを低くするべきです。
が、安全を担保するために必要な規制は、適度な基準を設定した上で徹底して守らせるようにするための効率の良い仕組みを作るべきです。
また、その規制の内容を業界団体などの反発をおそれずに適切にコントロールし、あるべき姿へ近づけていくという役割ももっと上手に活用できるはずです。
過去の例では、自動車の排気ガス規制などは、明らかにコストアップに繋がる規制であり、業界団体からの反発も大きかったはずです。
しかし、それを押し切って実施することで、大気汚染などの問題は明らかに減少しましたし、日本車の競争力は大いに増しました。
自分たちの手足を縛ることになるし、コストも掛かることではあるのですが、将来に向けてやるべきことは、きちんと規制を設けて業界を導く。
こうした所轄官庁の役割があってこそ、産業は大きく成長していくものです。
しかし、ここ30年ほどの日本は「規制緩和」の議論ばかりが先行し、”規制=悪”のような認識が広がっています。
この捉え方はいささか短絡的でもあるので、”あるべき未来を作る”という、規制のもう一つの役割も見直されるべきでは無いかと思います。
あわせて、同業者団体の機能や役割も、もう少し見直すべきなのかもしれません。
今回も地元の同業者の団体はあり、そこで運航期間の申し合わせなどが行われたようですが、結局、強制力は無かったわけです。
また、同業者であれば、同社の杜撰な運航体制については知りうる立場にあったわけですから、その体制の不備を告発するなどの対応も取れたかもしれません。
もっとも現実問題としてみれば、地方においては、同業者とは常に顔を合わせる存在ですし、地縁・血縁で繋がっていることも多く、厳しい対応は取りにくいものです。
このような状況を踏まえて、比較的客観的な立場を取れる全国規模の団体の方に、業界の自主的な監査機能を持たせたり、従業員等から不適切な事態についての告発を行う窓口を設けるなど、機能を分担した方が良いのかもしれません。
消費者に見えない苦労・努力が見えると適正価格が見える
皮肉なことに、今回の事故によって、分かってきたことというのもあります。
それは、船の運航にはどのような設備が必要なのかということや、実際の運航においては、無線での定時連絡を行ったり、他の事業者と一緒に出航して、救難ができるような体制を敷いていることなどです。
当該事業者の運航の杜撰さを報じる流れの中ではありましたが、今まで利用者目線では見えなかった安全のために行っている対策が、報道で大いに採り上げられることになりました。
これらは業界の中にいる人の中では、当たり前すぎて、特に言うべきことではないのかもしれません。
しかし、多くの一般の利用者にとっては初めて知る事実だったと思われます。
現場でどのようなことが行われているかを知らないと、消費者は非常に安易な考えでコストを算出し、適正価格を考えます。
船長と甲板員の2名体制で運航している船であれば、2名分の人件費と燃料代くらいしか原価は掛かっていないと考え、「その割には普通の電車やバスよりずっと高いな。観光地価格だな」という印象しか持たないものです。
どんなに多くの努力やコストがかかっていたとしても、見えないものは”無かったもの”として計算されてしまうのです。
この話を、お茶を例にして述べるならば、こういうことです。
「茶葉というのは、木を植えておけば年に何回も勝手に芽が生えてくるもので、収穫も今は機械で刈り取るだけなので何トンも収穫できる。収穫後は自動生産ラインに流し込めば、機械が全部やってくれる」
と、本気で思っている消費者は意外に多いものです。
”このような作業プロセスでお茶は出来ている”と思い込んでいると、消費者の多くは減価償却の概念が無いので「原価はほとんどゼロに等しいのでは?」と考えてしまい、あまり茶農家の方に感謝もしません。
それどころか「スーパー等で激安で販売している茶葉の値段が妥当。それ以上の値段で売っているのは儲けすぎ。リーフは淹れる手間があるから、ペットボトルより安くて当然」というような価格のイメージを持つようになります。
物事を”知らない”というのは、実に恐ろしいもので、本来の適正価格はいくらなのか?と考えるのでは無く、「隣のスーパーではもっと安く売っていた」というような価格情報だけの数字ゲームになります。
この流れに乗ると、無限に価格は切り下がっていきます。実際、お茶の値段が下がっているのは、まさにこの理由によると思われます。
「消費者が知ろうとしない」というよりも、「知る機会が無い」というのが大きいでしょう。
本来は、適正な価格を認識してもらえるような情報発信を行うことは、業界団体などが、きちんと一般消費者に向けて告知をするべき内容かもしれません。
一事業者が告知するだけでは、都合の良い部分だけを切り取ったPRになってしまう可能性もあり、それでは却って消費者を惑わせてしまうことになります。
その点、業界団体であれば、きちんと偏りの無い解説ができ、消費者からの信頼も得やすいでしょう。
もっとも、その内容をホームページに掲載したり、パンフレットにして配布する、などということをやっていても、あまり意味はありませんし、ほとんど伝わらないでしょう。
大きな業界では、より身近な形で、消費者の意識の中に刷り込むような広報活動を行っています。
たとえば、テレビドラマで飛行機関係のドラマが行われると、航空会社は積極的にロケに協力するなどして、航空機の安全性を確保することがいかに難しいのかを物語の中に織り込ませるようにしています。
こうしたものを消費者が視聴することで、航空機の安全な整備体制やパイロット・CAさんたちの過酷な訓練などを認識し、人材のプロフェッショナルさと安全確保のコストが掛かっていることを潜在的に認知します。
産業の規模によって、予算には限りが出てきますから、できることに差はあると思います。
が、あの手この手で消費者に見えない努力や苦労を伝えていくことは、業界の安全性や信頼性を高め、ひいては価格の納得感を高めることに繋がるのだろうと思います。
輸入食品の場合、現地との価格差をどう納得してもらうかが課題
中国茶などの輸入食品の業界に関していえば、消費者には見えない輸入コストに関しての納得感を得ることが非常に難しいものです。
特に台湾茶などは、ここ数年の台湾旅行ブームもあり、現地の店頭価格を知っている消費者が増えています。
今は現地への渡航がほぼ不可能になっている状態ですから、本来であれば、台湾でお茶の美味しさを知った方が、日本国内の茶葉店でもっと購入されるようになっても良いはずです。
が、現地の店頭価格との乖離が大きいことを理由に挙げ、国内では買い控えている方も多いようです。
このように考える方の心理を推測すると、「台湾からの送料分くらい高い程度で購入できるのが妥当な価格であり、現地の3倍近くする価格を付けているのは不当だ」と考えているのではないかと思います。
これは食品の輸出入に携わっている方なら、有り得ないことは当然分かるのですが、一般の消費者の方には理解が出来ないことなのです。
なぜならば、食品の輸入において、どのような手続きがあり、そのコストはどのくらい掛かるのか?を知っている人が、ほとんどいないためです。
個人輸入(自分が消費するための小口輸入行為。通販の延長で自己責任が原則)と商業輸入(他人に販売するための輸入行為。商品に責任を負うので安全性を証明する義務がある)の区別がついている方も、あまりいません。
実際問題で考えると、日本で販売しているカップラーメンは、台湾に輸出されると3倍くらいの価格で店頭販売されています。
食品は口に入れて摂取するものなので、その安全性をきちんと証明するためのコスト(農薬検査費用、検査に回す分の茶葉サンプル費用等)が重くのしかかります。
台湾烏龍茶の輸入に関するコストをざっと挙げれば、現地で輸出許可を得るための農薬検査費用、通関書類の作成、航空運賃、国内指定業者での農薬検査費用、保税倉庫での保管料、国内での通関書類作成費用等が掛かります(茶葉1種ごとにどんなに少量でもほぼ同じ金額が掛かります)。
そのため、食品が国境を越えるとなれば、このくらいの価格にせざるを得ないのです。
「日本の農産品は美味しいのに海外でなぜ売れないのか?」という議論にもなるのですが、生鮮品などでは現地の価格を日本国内の数倍にしなければ釣り合わないので、その視点が欠けています。
これはどうやら国会議員の先生方でも理解していない方がいるくらいなので、一般への広報が足りていないのではないかと思います。
とはいえ、このような「輸入コストが掛かる」という話を、一事業者が声を上げて訴えると、言い訳のようにしか聞こえなくなってしまいます。あまり格好良くはありません。
やはり情報を伝えるのは、しかるべき団体などが担うべきものです。
本来であれば、茶の輸入業者の業界団体などが、輸入に際してのコストを掛けることによって担保されている食の安全性をきちんと広報し、消費者の理解を求めていく必要が本来あるのではないかと感じます。
次回は5月16日の更新を予定しています。