お茶がなぜ難しいのか?を考えてみる
お茶について詳しい人というのは、あまり多くありません。
ほとんどの人にとって、お茶は身近なようでいて、非常に分かりづらいものだと感じられてしまいます。
とはいえ、日本で暮らしていれば、断片的にお茶に関する様々な単語や用語が流れてきます。
そして、それらについて、なんとなく理解しているような気になっているものです。
たとえば、テレビコマーシャルや店頭などでよく見る用語をざっと列挙すると、以下のようなものが挙げられます。
こうしたお茶の用語は、なんとなく聞いたことがある、という方は多いと思います。
しかし、これらの用語をきちんと頭の中で整理し、用語同士の関係性などを「構造化」して捉えられているか?となると、ほとんどの人は難しいと思われます。
ここまでグチャグチャにはなっていないにせよ、それぞれの用語の意味やその関係性が頭の中が整理されていない状態であることが多いでしょう。
お茶の用語を「構造化」して捉えるだけでも、特殊技能
上記に挙げた用語を、もし「構造化」して整理するとしたら、どうなるでしょうか?
これは簡単なように見えて、それなりの専門的な知識が必要です。
「茶をどう分類するか?」という原理原則(いわゆる六大分類)の考え方や周辺のさまざまな知識が必要になるからです。
具体的に整理してみると、このような形になります。
見やすいように色も変えてスッキリ整理してみましたが、こうした整理ができるというのは、既に特殊技能です。
少なくとも六大分類についての考え方を講座などで学ぶか、きちんとした書籍などで読んだことがあり、ある程度の商品を見たことがあるなどの”経験値”が無いと、この構造化すら出来ません。
個人的な感覚では、この分類がスパッとできる方は、日本の人口の中でも1割未満。数パーセントの世界でしょう。
※もっとも中国茶分野を省き、緑茶や紅茶だけに限れば、もっと比率は高まる可能性があります。
お茶の原理原則である部分の構造化すら、ごく少数の”選ばれし者”しかできないわけです。
日本はお茶の国ではありますが、一般の人のお茶に関しての知識は、だいたいこのような程度であることを踏まえて、情報発信をした方が良いでしょう。
しかも、この構造化ができたからといって、お茶が分かるわけではありません。
これは山登りに喩えれば、基本装備が揃って、登山道までやって来た、というレベルです。
しかし、構造化がきちんとできていないと、新しい情報を得たとしても、それを適切に整理することができません。体系的な理解までは到らないのです。
構造化は、あくまで基本中の基本。できていて当たり前の事項であり、そこからさらに各お茶について、詳しく見ていき、違いを体感する必要があります。
お茶の品質がどうこう、茶の産地の違いがどうこう・・・という話は、本来、そこから先の話です。
微妙な差の掛け合わせを体感して整理する
それでは、それぞれのお茶について詳しくなるというのは、どういうことか?となりますが、これも構造化が必要です。
たとえば、凍頂烏龍茶について詳しく知るのであれば、凍頂烏龍茶の品質を形成する要因があります。
その要因を構造化して適切に捉えるのが、まず第一歩です。
さらに、素性のハッキリしたサンプルを沢山飲み進め、自分の中に理屈と実際の体感を落とし込んでいく作業が必要になります。
理屈と体感がどちらも揃わないと、”構造化”ができません。
このように説明しても、今ひとつピンとこないと思いますので、ざっくりと凍頂烏龍茶の品質に与える要素を列挙すると以下のようになります。
実際にはもっと多くの要因があるのですが、分かりやすくするために簡素化しています。
これらの違いを、少しずつずらしながら飲み比べていく、ということになります。
たとえば、青心烏龍種の軽発酵と中発酵の違いを比べるなら、それ以外の条件は揃える、というふうにして、それぞれの要素の違いによる”差分”を体感します。
もちろん、これを一から全部の組み合わせを試すとなれば、異常な量のお茶を飲まなければなりません。
実際、産地の方は感覚的に構造化ができており、さらに体感した組み合わせを増やす作業をされているのですが、飲んでいるうちに新製法や新産地が出て来たりするので、彼らとて「終わりが見えない」というのが本音でしょう。
現実的には全ての組み合わせを試行することは無理なので、プロの方であっても、ある程度の範囲内(自分の専門領域)に留まっていることが多いです。
愛好家のレベルであれば、ある程度の大まかな構造化を理解した上で、この中の大きく”差分”が見られる部分だけを切り取って飲む、というのが妥当な範囲でしょうか。
とはいえ、どこを飲み比べれば、その”差分”が大きくなるのかは分かりませんので、詳しい方に聞きながら飲むことになるでしょう。
このようにして、お茶の品質の違いなどを身につけていくのが、お茶を学ぶ方法の王道だと思います。
残念ながら、これをショートカットして、いきなり「プロと同じような鑑定ができるようになりたい」というのは無理な相談です。
スケートを始めたばかりなのに、トリプルアクセルを飛びたい、と言っているようなものです。
お茶の勉強には時間がかかります。
この作業を全てのお茶でやることは、ほぼ不可能
いまの例は、凍頂烏龍茶でしたが、これが武夷岩茶であれば、武夷岩茶の品質を形成する要因がありますし、鳳凰単叢であれば、鳳凰単叢の品質を形成する要因があります。
もちろん、同じ”チャノキ”の植物であるため、ある程度の共通点はありますから、一つのジャンルを極めた方であれば、横展開は比較的容易です。
しかし、それでもそのお茶独特の要因というのは必ずあるので、それを体感に落とし込むという作業は必要です。
2000種類以上もあるという中国茶でこれをすると考えると・・・
学習用の茶葉材料を集めるだけでも、気が遠くなるような作業になりますし、実質的に不可能だということに気づかれるでしょう。
もっとも、ひょっとしたら構造化まではできるかもしれません。
・・・と、このように書くと「中国茶を極めるというのは、土台無理な話ではないか」と思われると思います。
個人的には、そういうものだと思っています。
ある程度は分かるかもしれませんが、全てを体感も伴う形で理解するのは不可能です。
なにしろ、それぞれのお茶の産地で名人と呼ばれる人でさえ、自分の作っているお茶についても、「まだまだ分からないことがある」と謙虚に語るような世界です。
理解の水準はそれぞれだと思いますが、究極的には「お茶の全てを知るのは不可能」だという前提は、どこかで必要だと思います。
全てが簡単に理解できると思うのではなく、”無知の知”を知ることから、お茶の世界に入っていく方が、個人的には好ましいのではないかと感じています。
「お茶のことなら、なんでも分かる」というのは、いささか傲慢な考え方ではないかと思います。
私自身も、あくまで「分かる範囲のことを、できるだけ分かりやすくお伝えする」ということしかできません。
当然、日々、できるだけ分かる範囲を広げようと努力してはいますが、一般の人が想像する以上に、お茶というのは奥が深く、終わりが見えません。
次回は7月17日の更新を予定しています。