今回の旅では、四川省雅安市の名山区にある蒙頂山も訪問してきました。
日本ではあまり知られていない山ですが、お茶の歴史を語る上では外せない場所です。
世界茶文化の発祥の地であり、「茶旅」の発祥の地
蒙頂山の重要性について、公式に確認され、認知されるようになった大きなきっかけは、2004年に当地で開催された第8回国際茶文化研討会と第1回蒙頂山国際茶文化旅游節です。
この会において、『世界茶文化蒙頂山宣言』が発表され、蒙頂山は”世界の茶文化発祥の地”ということが確認されました。
また、これを軸にした観光開発が行われました。
実際に蒙頂山に行ってみると、茶文化の発祥の地について高らかに宣言するモニュメントが多数あります。
その後、名山区は歴史的なお茶の名産地としての看板を武器に発展していきます。
2013年には当地に大きな被害をもたらした四川大地震が発生しましたが、そこからも急速に復興を遂げ、2015年には、中国茶葉流通協会から「中国茶都」の認定を受けています。
蒙頂山風景区には「世界茶文化博物館」という博物館も設置されています。
正直、観光地としての開発が早かったため、今から見ると設備やコンセプトなどが、やや時代遅れになっている感もあるのですが・・・
それでも、2016年には中国で初めて「蒙頂山国家茶葉公園」に指定されています。
茶文化発祥の地の根拠
ここが茶文化発祥の地とされる根拠があります。
紀元前53年頃に呉理真が、この地で茶の薬用効果に着目し、人工的な栽培を行ったという史料の記述があることによります。
茶の価値を初めて認め、それを人為的に栽培したことこそが茶文化の始まりである、という考え方です。
その後、蒙頂山は唐代の玄宗天宝元年(742年)より献上茶(貢茶)づくりを始め、その名声は「揚子江中水、蒙山頂上茶」の名で広く知られるようになります。
蒙頂山の山頂付近にある天蓋寺の奥の方に、皇茶園と7本の仙茶が残されています。
「茶旅」の側面にある「茶文化」
中国はお茶の国であるというイメージが強いかもしれません。
しかし、実際のところは、19世紀後半からの列強進出や日中戦争、その後の国共内戦などの過程で、茶の生産量は激減していました。
そのため、お茶を飲むという文化は、庶民の間では、一度は断絶していたという経緯があります(詳しくは『現代中国茶文化考』王 静 著・思文閣出版 をお読みください)。
それを様々な手法を駆使して、再び豊かな都市生活者を中心に、喫茶の習慣を取り戻してきたという経緯があります。
特に「茶旅」のようなことに関心を持つ層は、少なくとも中国国内を自由に旅行できる程度の十分な収入があり、それは中国で言うところの「文化程度(※)」の高い人が多くなりがちです。
※中国で「文化程度」というと、いわゆる学歴のことを意味します。
そのようなことから「茶旅」に関心を持つ方は、歴史や文化などについての造詣が深いことが多くなります。
ただ単に「美味しい」「風景が素晴らしい」「体験が楽しい」だけではなく、彼、彼女たちの知的好奇心を満たすような歴史や文化の厚みが必要となります。
それが蓄積されているだけでは十分ではなく、それを掘り起こして、ストーリーにし、それを魅力的に語るストーリーテラーも必要になります。
蒙頂山は、こうした歴史的な裏付けを上手に観光資源に転換している例と言えるかもしれません。
次回は4月19日の更新を予定しています。