何かを上手にやっている国・企業の事例を徹底的に研究し、その分析結果を自国や自社に取り入れることを「ベンチマーキング」といいます。
昨今、日本経済が低迷しているのは、ベンチマーキングの対象になる国がないからだ、というような論調もあるのですが、「本当にそうですか?」と個人的には思います。
全体として同じ国はないでしょうが、部分的に参考になる国はいくらでもあります。
とりわけ、茶業に関しては、隣に世界の歴史上でも前例のないスピードで国内市場を急拡大させている、ものすごい国があるのに、なぜ学ぼうとしないのか?不思議でなりません。
国内市場を急速に拡大させた中国の茶業
その国とは、中国です。
茶の生産量のグラフを見れば、その猛烈な急拡大ぶりが分かると思います。
グラフは新中国設立の翌年である1950年から始まっています。
この年、中国の茶の生産量は、わずか6.5万トンでした。
「中国は、茶の母国」「お茶の国」という印象からすれば、あまりにも少ない量だと思います。
アヘン戦争以来の列強進出、そして相次ぐ戦乱で、茶業は壊滅状態に置かれていたのです。
そこから、文化大革命期の混乱はあったにせよ、生産力の回復基調が続き、改革開放政策が本格的に始まった1980年代の初めには30.4万トンにまで生産量は増えていました。
30年かけて、生産量を5倍に増やしたのです。
そこから20年後の2000年には68.3万トンと倍以上に伸びます。
ここまでは経済成長に応じた程度の緩やかな伸び、といっても差し支えないと思います。
問題は、その後。21世紀に入ってからの伸びです。
2006年に102.8万トンと、100万トンの大台を初めて超えた後、2014年には209.6万トンに。
実に8年間で100万トン以上、生産量を伸ばしています。
この間、輸出量は急激に伸びていませんので、これらをほぼ国内需要の拡大によって吸収しています。
8年間で数十万トンを超える国内需要を創出しているのです。
ここまでの茶のマーケット拡大を、これほどまでに短期間で行った国は、歴史上、どこにもありません。
まさに史上初。空前絶後のマーケット拡大です。
隣の国で、これだけの凄まじい市場拡大が起こっている事実を知り、この原動力について正確に把握している関係者は、どれくらいいるのでしょうか。
たくさんいるのであれば、もっと騒がれているはずですが・・・
自然発生的では無い、急成長
「日本よりも人口が多いし、今まで貧しくてお茶を飲めていなかったのだから、このくらいの伸びは当たり前ではないか」と考えている方も多いのかもしれません。
しかし、考えていただきたいのは「お茶を飲む習慣が数十年もの間、断絶していた」という事実です。
なにしろ、1950年には6.5万トンしかお茶を生産しておらず、海外から輸入することもできなかったのです。
さらに文革期は、お茶を飲む習慣までもが、槍玉にあがった時代です。
このような時代を経た後「数十年飲まなかった習慣が、豊かになったら、急に復活する」というのは非常に考えにくいのです。
日本で喩えるならば「着物の大ブームが来たら、全員が着物を着るようになるか?」という話です。
着付けの仕方も分からなくなっている、今の日本ではまず無理でしょう。
自然発生的に、あるいは業界団体の旗振りだけで、そのような事態が起こるとは考えられません。
また、嗜好品飲料は「茶」以外にも豊富にあるわけです。
コーヒー、特にスターバックスの進出は中国でも目覚ましいですし、ワインなども中国の富裕層にはブームになってきています。
そのような競合もたくさんあるはずなのに「茶」がこれだけ消費を拡大した背景には、きちんとした戦略があります。
その戦略を推進したのは、他ならぬ中国政府。
まさに国家戦略で茶業をバックアップしているのです。
そして、その消費拡大戦略の中心にあるのは、「茶文化」という概念です。
成長のドライバーは「茶文化」
近年、中国のお茶の世界では「茶文化」という表現が大変目立ちます。
日本語で「茶文化」と言ったときにイメージするのは、おそらく茶道であったり、茶の歴史や美しい芸術的なものを主に指すと思います。日本の伝統、古来から不変のもの、という印象があると思います。
が、現代中国の茶業関係者が使う「茶文化」という言葉の指し示す範囲は、もう少し広く適用されているようです。
常に移ろっていて、捉えどころの無い面はあるのですが、茶にまつわる一切合切の知識や情報、関連知識を含んでいるように感じます。
たとえば、お茶の製法の科学的な内容を学ぶことも「茶文化を学ぶ」ことですし、お茶の産地を旅すること(「茶旅」という言葉は流行語です)も、「茶文化を知る旅」ということになります。
お茶を飲むためのインテリア・部屋のデザインやコーディネートについても、「茶文化空間設計」ということになりますし、お茶を飲むための「茶館」が、最近では「茶文化発信基地」というような捉え方に変わってきています。
茶を、ただの水分補給のための「飲料」としてだけ飲むのではなく「茶文化」と共に飲む。
そういう考え方で、茶業界が動いているように感じますし、「茶文化の消費」が中国の茶業界(特に高級茶の消費)を牽引しているのは、明らかです。
中国は、歴史的にも「茶文化発祥の地」であり、「茶の母国」であるという裏付けがあります。
このことはナショナリズムとも結びつきやすく「茶文化の消費」は、中国人としての自尊心・プライドを高めることにもなります。
他の国の消費者からしてみると、到底理解のできないような高価な茶も、「茶文化」というマジックワードが介在すると、現地の上流階級層にとっては正当化されます。
もちろん、高価だとは感じているでしょうが、そのような高価なものを歴史や文化的な背景も分かった上で消費する。
それは私が「茶文化」を分かっているからだ、という自尊心を高める効果もあります。
価格に妥当性を感じる程度の品質が伴ったものでありさえすれば、十分に割に合う消費行動なのです。
身も蓋も無い言い方をしてしまえば、お茶の価値を高めるものは、全て「茶文化」なのです。
「茶文化」という衣を纏えば、お茶の価値が高まるという雰囲気が、今の中国にはあります。
これが、現代の中国における「茶文化」という言葉の本質のような気がします。
「茶文化」を発掘する
このように書くと、非常に拝金主義的な「茶文化」に聞こえるでしょうが、決して悪いことばかりではありません。
「文化」は経済が回ることで初めて継続されることができます。
たとえば、今、中国全土で「茶文化の発掘作業」が行われています。
これは何か?ということですが、本来、中国は各地域ごとに特色のあるお茶や飲まれ方がありました。
地域性、エスニックグループの違いなどに発するものです。
しかし、こうしたものは、茶を飲む習慣が断絶していた時代に失われてしまったことも、数多くあります。
これらを地元の郷土史家などが中心となって文献を解読して、知らしめる。
地元の茶業者は、その文献から、お茶の復刻に取り組み、商品化する。
地方政府は、一連の活動に補助を出すとともに、そのお茶の文化を広める博物館などを建設したり、観光のためのインフラを整備する。
そうした施設をきっかけに、「茶文化」を学びに来る「茶旅」の旅行者を誘致し、地元経済を活性化させる・・・というモデルです。
いわば、茶を通じた街おこしの機運が高まってきているのです。
特に習近平政権の打ち出している重大政策である「一帯一路」の沿線都市では、その動きが顕著です。
なかには、ちょっと怪しげなものもありますが、こうした活動によって、救われる地方の名茶や茶産業はかなり多いものと思われます。
中国茶も、結局は地方の名茶の集合体です。
それぞれの個性溢れる「茶文化」を持った地方のお茶が、どんどん増えていくことは、中国茶全体の「茶文化」の厚みを増すことになり、さらに「茶文化」の価値が高まって、茶の価値も大いに高まる(高価な茶でも販売できるようになる)という好循環に繋がっているわけです。
日本にどう適用できるか?
このような「茶文化」モデルは、社会主義国の中国だからできたことだろう、という考え方もあるでしょう。
しかし、台湾でも「茶芸ブーム」などで上手く機能した実績があります(もっとも当時は蒋経国総統の開発独裁体制でしたが・・・)。
日本においても、一部は十分に適用できるのでは無いか、と個人的には思います。
まず、日本の地方にも、地元独特のお茶の種類や喫茶習慣があります。
こうしたものを、自治体などが補助を出して、もう一度「発掘」し、まとめる。
その地方ならではのお茶のストーリーがある、として提供できれば、それを体験しに来る人や”お取り寄せ”をするニーズも生まれてくるでしょう。
特にストーリー性の無いコスパだけのお茶に、進んだ消費者は飽き飽きしていますから、十分な品質のお茶の製造と上手なプロモーションができれば、可能性のあるシナリオだと思います。
さらに、「茶を識って飲む」というのが「茶文化」であるとするならば、コストのかかるお茶を高値で(少量ずつ)販売するというビジネスモデルが成立する可能性があります。
例えば、手摘みや特殊な品種、製法などのお茶を、少量ずつ気分に応じて飲み分ける、飲み比べて味わう、という消費スタイルです。
こうしたスタイルは、コーヒーやワインなどの嗜好性飲料を飲む人たちにとっては、きわめて当たり前の習慣なので、良い手引き書の出版など、楽しめる環境が揃えば、これもまた可能性があるように感じます。
※現代の中国の茶文化については、最近発行された『現代中国茶文化考』(王 静 著・思文閣出版)が、詳しくまとまっており参考になると思います。書評
次回は4月10日の更新を予定しています。